ニッポンローカル見立て帖 File.08:秋田・由利本荘 「秋田物部文書」に見た、力を蓄えるための場所
唐松神社に伝わるという『秋田物部文書』を読んで、秋田へ行った。負けた者はなぜ北へ向かうのか。その思いつきは、調べたらあっさり外れた。ただし四百年前、この土地を治めた殿様は「うちは負けた側の子孫だ」と、自ら家の系図に書き残していた。逃げてきた先ではなく、力を蓄えた場所ではないか。見立て帖 File.08、秋田・由利本荘。
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唐松神社に伝わるという『秋田物部文書』を読んで、秋田へ行った。負けた者はなぜ北へ向かうのか。その思いつきは、調べたらあっさり外れた。ただし四百年前、この土地を治めた殿様は「うちは負けた側の子孫だ」と、自ら家の系図に書き残していた。逃げてきた先ではなく、力を蓄えた場所ではないか。見立て帖 File.08、秋田・由利本荘。
日光は修学旅行の記憶しかなかった。友人のツアーで「モテモテになる」と聞いて出かけ、鹿沼の岩の裂け目から、御用邸の劔璽の間、破魔矢の発祥の像まで歩いた。帰って調べると、勝道上人の開山から1200年、人が信じて祈りを重ねてきた山だった。見立て帖 File.07。
「越後・謙信SAKEまつり」をきっかけに訪れた新潟・上越。雁木通りの下は、一軒ずつの私有地だった。宿も建具も着物も、終わったものが誰かに渡って形を変えて使われている。古いものが、ちゃんと誰かに渡っていく町。見立て帖 File.06。
享保年間から続く「黒森歌舞伎」を見に、2月の山形・酒田へ。日本一の大地主・本間家が生きた5畳、雪のなかの農民歌舞伎、出羽三山。やり遂げることで生まれる誇りの輪郭を書いた、見立て帖 File.05。
「ダサいたま」と言われてきた埼玉・大宮へ。武蔵一宮氷川神社の蛇の池、中山神社で再会したアラハバキ、そして盆栽。6000年の時間が層になって残る「多層的なタイムカプセル」として大宮を見立てた、見立て帖 File.04。
三内丸山遺跡で出会ったヒスイの輝きに導かれ、縄文人が切り拓いた「ヒスイの道」を逆に辿って新潟・糸魚川へ。奴奈川姫の痕跡を訪ね、ヒスイ海岸で自ら石を探す。ブラック焼きそば、天津神社、小さな糸魚川ヒスイ原石館。見立て帖 File.03。
縄文人は高度な航海技術を持つ海洋民族だったのではないか。その仮説を確かめに青森・三内丸山遺跡へ。1700年続いた縄文都市、ヒスイと黒曜石が語る交易網、六本柱建物、そしてねぶた祭り。青森を「海の都」と見立てた File.02。
柳田国男『遠野物語』の聖地、岩手・遠野へ。博物館の呪術展示を「祈りのテクノロジー」と見立て、早池峰神社の瀬織津姫、丹内山神社の磐座、民宿で聞いた座敷わらし、遠野醸造のホップまで。旅人の勝手な見立てで町を読む連載 File.01。